| Q. |
まずは、長岡さんがこの世界に入った頃の専門紙のことで、印象深いことを聞かせてください。 |
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「当時(昭和36年頃)は、今日ほど放送資料となるものが少なく、一頭一頭の成績は、カードを作って作成していました。原則として、実況を担当したアナウンサーがレース成績をつけることになっていたのです。専門紙はもちろんありましたが、それだけでは放送資料としては不十分でした。実況には、その馬の勝ちパターンを知ること、これが一番必要だったから、それには、スタッフで独自に作るしかなかったのです。そうした中で重宝した専門紙があったのを覚えています。全レース、すべての出走馬のローテーションがわかるようになっていて、5開催分の出走状況、成績がわかるようになっていました。横書きで、それを縦にみていけば、全馬の比較ができました。休養中は空欄になっていたので一目瞭然。とても便利でしたが、今はありません」 |
(補足)この専門紙は何? 気になって、宮崎秀一さんに聞いてみたところ・・・
「たぶん、競馬新報≠カゃないかな。他の専門紙の予想(印)を集計して載せる、というちょっと変わった専門紙だった。だから、トラックマンは存在しない、編集だけで作っていた新聞。昭和50年ころまではあったよ」 |
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| Q. |
今までに、多くの記者と仕事をともにしてきた長岡さん。競馬の神様¢蜷慶次郎氏(故人)もその中のひとりです。長岡さんからみた、大川さんの印象深い思い出とは。 |
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「大川さんのことで、今でも感心していることは、<大川ノート>といって、全レースのラップタイムをノートに記していたことです。朝の1レースから最終レースまで、放送席の片隅で、エンピツで書かれていました。後々ノートを見ると、そのレースがどんなレースであったか、ペースを作った馬が何で、勝ち馬がどんなレースをしたかがすぐわかるのです。大川さんのレース解説が優れていたのは、一頭ずつのレース振りがすっかり頭に入っていらしたので、話が明快であったことです。ご自分でコツコツ努力されていたので、話の内容もゆるぎないものだったのでしょう。放送の中で、ローテーション、レース展開からラップタイムを引用されたのは大川さんが最初です」 |
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| Q. |
また、大川さん以外にも、専門紙業界で語るべき人がいれば、教えてください。 |
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「放送という立場から言えば、パドック中継ほど進歩していないものはありません。個々の馬の状態を話すとき、そこで使われる用語が、昔の方がずっと豊富でした。ゆっくり馬をみるという姿勢が放送にもありました。当時と今では、競馬の事情が変わり、パドック放送ばかりに時間をかけていられなくなったのは仕方のないところでしょう。専門紙ではありませんが、日本経済新聞の記者をされていた小堀孝二さん(故人)のパドック解説は、戦前からのキャリア、足で取材するという姿勢から培われたものであふれ、ユーモアもあって楽しいものでした。あくまでも選択するのは競馬ファン一人一人であって、その選択する材料を提供するという精神に貫かれていました」 |
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| Q. |
長岡さんにとって、専門紙とはどのようなものでしょうか。 |
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「専門紙の価値は、それぞれの担当者が専門家だということでしょう。エキスパートの道を追求していく仕事、したがって、それぞれの個性も生まれてきます。自分の感覚にフィットする人を紙面の中からつかむことで、競馬をより深く知ることができます。競馬を長く楽しむ人ほど専門紙のよさを知ります。専門紙はデータ管理がしっかりしているので、正確。競馬専門紙という存在は必要不可欠なもの。競馬を支えている業界といっても過言ではないでしょう」 |