スタッフの四方山話 第163話
文・坂井 優吾
「それぞれの競馬」
 
当方が競馬に興味を持ち始めたのは、中学生の時です。きっかけは石橋脩騎手と同じですが、テレビゲームの「ダービースタリオン」でした。アクションゲームが苦手なので、この手の自分のペースでできるゲームは性にあっていたのでしょう。嵌まりまくりました。レース結果に納得のいかない時は、リセットボタンを多用したものです。押しまくったら、リセットボタンが元の位置に戻らなくなりました。やむ無く、ゲームからは遠ざかりました。

大学入学後、アルバイト先のトオルさんが競馬が好きということで、こちらも「ダービースタリオン」で知り得たものをいろいろぶつけてみました。『騎手の名前が変わってるんですよ。例えば、福永騎手は福長騎手、とか』。「へぇ〜、でも読みが一緒だからわかりやすいね」。『でも、わからない騎手もいるんですよ。車騎手って、誰ですかね?』。「クルマ?」。『よく、ウインドフィールズに乗ってるんです』。「(笑)あぁ〜、東(信二)騎手か」。

そんなのが契機となって、リアルの競馬に興味を持ち始めた当方、1999年の秋のGI・10レンチャンは、バイトの前に必ず、まだ全線開通していない営団地下鉄南北線に乗って、ウインズ後楽園へ赴き、トオルさんのも含めて、馬券を購入したのでした。

当時はまだ携帯電話で情報を引き出せなかったので、ウインズのオッズプリンターでオッズや馬体重を引き出し、トオルさんに電話をし、知りえた情報を伝えていたのですが、必ずと言っていいほど、「あぁ、オッズとか馬体重ならワイド中継で観ていたから大丈夫だよ」と。若干のジェラシーを感じつつも、『どんなんだ?その番組』と、興味が沸いてきました。で、ウインズからバイトに行き、トオルさんに言われたのが、「今はウインズ通ってるから観れないだろうけど、ワイド中継は観た方がいいよ、役に立つから」。

それよりももっと幼い頃にザッピングしていたら映ったのが中央競馬ワイド中継。真剣に観たことなど無かったのですが、それからは、録画してまで観るようになりました。それでも、競馬に関して浅薄だったので、チンプンカンプンなことは多々ありました。しかし、真剣に競馬に挑もうとする姿勢は、解説者の皆さんの弁も手伝って、すごく感じ取ることができました。

競馬を語る熱意。これは、当方の好奇心を揺さぶりました。『競馬って、どこまで奥深いものなんだろう?』。知り得るものなら、知りたい。しかも、テレビという身近なメディアツールからそれが発信されるのであれば、なるほど、トオルさんのアドバイスは確かだな、そう思いました。それからしばらくは、時間さえあれば、必ずと言っていい程、ワイド中継にチャンネルを合わせ、競馬への思いを深めていきました。

そのバイト先を辞めて、しばらくは競馬とは無縁の時間を過ごし、再び、競馬に触れるきっかけとなったのが、このワイド中継のホームページでした。大学入学後の就職活動の頃です。大抵の企業は、入社志望を出す際にパソコンからエントリーシートなる自己アピールを要求してくるのですが、その合間にネットサーフィンで、それとなく観ていたのが、このサイトでした。管理人さんやスタッフがまめに更新していたので、チェックする機会は多く、忘れていた競馬への何かが再燃し、またワイド中継を観るようになりました。

その後、すったもんだあって、大学を卒業しても就職先もろくずっぽ見つけられなかった当方。相も変わらずネットで勤め先を探していたんですが、またまたワイド中継のホームページを覗いてみると、「アルバイト募集 正社員を目指せる者」の文字。このままニート生活を送るわけにはいかないと思い、一念発起で応募、そして合格、今に至ります。

視聴者だった時代から羨望の目で見てきたワイド中継のスタッフになれたことを、誇りに思っています。自分にとって、基幹となるファクターです。熱心な視聴者だった時期と実質制作に携わった年月を合わせると、ゆうに当方の人生の3分の1を占めます。

その、自分にとって大事な番組の終焉を、中山競馬場のスタジオで迎えようとは、まったく予想だにしませんでした。

土曜中継の先輩スタジオディレクターは、とても冷静に物事が判断できる人で、さすがに土曜中継終了の際にはうろたえずにテキパキこなすのだろうと思っていましたが、25日の放送終了後、目を真っ赤にして、「自分では泣かないと思ってたんだけど、耐えられなかった」、そう話しました。日曜中継のスタジオディレクターを担う当方は、昔から涙もろく、周囲にも『最終回はズルズルになって仕事にならないかもしれません』と公言していただけに、前述のディレクターの表情にはかなりうろたえました。

ただでさえ、番組終了を伝えた今月4日以降、皆様から寄せられたメッセージを読んだり、昔のVTRを観返したりする度、目に液体を溜めては拭う、そんな日々が続きました。お便りの中に「某巨大掲示板群にも終了を惜しむ声が寄せられてますよ」というのがあり、それを読んでみると、なるほど、確かにこれは・・・。何度、顔の一部が決壊したことか。ありがたいという思いと、申し訳無いという思いと、やるせないという思いと、情けないという思いでいっぱいでした。


迎えた、2010年12月26日、日曜日。

第1部のオープニングを伝える秒読みの際、当方は、『10秒前〜、9、8、7、6、5、4、さぁ〜ん・・・』。番組冒頭から、こみ上げるものが来て、声が上ずってしまいました。番組が始まったら、終わってしまう。そんな思いから、正直、身を真っ二つに引き裂かれるように辛かったです。

しかし、これは、最低です。ホント、最低です。

スタジオディレクターは、MCの正面で仕事をするもの。MCがこちらの指示を仰ぐ場面もしばしばある中、中継ディレクターとMCの仲介役であるスタジオディレクターは、自らの感情を全面に出してはいけません。スタジオディレクターが焦れば、MCも焦る。それを画面を通じて損をするのは、我々ではなく、電波に乗って醜態をさらすやもしれないMCの皆さん。そう教えられてきました。だから平静を保たなくてはいけないんですが、それが出来ていない。いや、出来ない。自分の馬鹿正直さに辟易しました。もっとも、MCは長岡さんと宮嶋さん。さすが、きちんと段取りを把握していただいている上に、長年この中継に携わっているだけあって、そんなことは意に介していなかったようですが、当方としては、悔いることが多すぎます。

第2部の開始。序盤は滞りなく進行するものの、何故だかわからないですが、阪神12Rの直前あたりから、こらえきれなくなって、一条の何かが頬を伝い、声にもなっていないような声でMCに呼びかける始末。『終わっちゃうんだよ・・・』。そんな思いが脳裏をよぎりました。情けないやら恥ずかしいやら。しかし、この後も当方の涙腺を緩ませる場面の連続。ウイナーズサークルに集まってくださった皆さんの言葉にまたグッと来て、及川さん、柏木さんのあいさつと・・・。その後、番組は今年の振り返りVTRへと向かったわけですが、VTRに入った瞬間、うなだれました。いつぶりかはわかりませんが、こんなに人目をはばからず泣いたことはありません。番組終了後、土曜のディレクターと、さっきまで唇を噛み締めていた前述のスタジオディレクターに「お疲れ様」と頭を軽くポンポンと叩かれ、また、泣きました。



この文は、放送日の深夜に書いていますが、書きながらも涙が止まりません。

最後に2つほど、ワイド中継を愛してくださった方々にお伝えしたいことがあります。



1つ目。

土曜・日曜と、出演者の方に最後のメッセージを頂戴する際、「いいスタッフに恵まれて」という主旨のコメントがとても多かったのですが、誤解なさらないでください。

制作サイドから言わせていただくと、『いい出演者に恵まれて』からこそ、成立した番組だと思います。当方が競馬が好きになったきっかけを作ったのは、出演者の皆さんです。古参のスタッフが、より競馬への造詣を深めた契機も、出演者の皆さんの産物です。むしろこちらからお礼を言わなければいけないのに、裏方の当方たちはなかなかそういった機会がありません。ですので、この場を借りて、『出演者の皆さんのおかげで、今日まで、真摯な競馬中継を制作することが出来ました。ありがとうございました』。



2つ目。

某巨大掲示板群に書き込まれたコメントによると、中央競馬ワイド中継が終わるなら競馬をやめる、そういった書き込みが散見されました。

それは、考え直してください。

我々が伝えてきたことは、入場人員だの、売り上げ云々ではなく、競馬の魅力。それに尽きます。この番組を愛してくださった方々なら、その辺を理解してくださるのでは?勝手ながらそう思っています。それならば、皆さんが競馬の魅力を、競馬初心者の方に教えていただき、我々の手の届かなかったところまで、裾野を広げていただきたいと思います。競馬の魅力は、【人】の力無くして語れません。

当方にとっての、トオルさんと、ワイド中継が、それです。

(2010.12.28)

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